ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さんの他のレビュー
コメント
こんばんは〜
ここはかなり良さそうな町中華のようですね👌
町中華に最近目覚めた友達が新小岩在住なので、
知ってるかもしれませんが伝えておきます😊☺️
銀あんどプー | 2018年6月4日 19:44ウマニソバにビールでも1000円で楽しめる。
こんなお店が好きです😊
NORTH | 2018年6月4日 20:23どもです。
我が家の長男は小岩に住んでます!
たまに嫁と掃除しに行くんです(笑)
なにげな町並み、ぼ~と見てるわたし、
ブルさんは深いですね(//∇//)
ラーするガッチャマン(通院中) | 2018年6月4日 21:29ぶるさん、
>町中華にこれ以上何を求めよう。
これには異論があります。奥にラガーの瓶が見えてますよ。(笑)
まなけん | 2018年6月4日 21:51塩のヲタクのぶるまなぢっちゃん~さん こんばんは!
「五十番」世界の王貞治さんの実家の中華料理屋もこの屋号でしたね~
自分も昼間からゆっくりビールを飲んで、旨いラーメンを食べれるようになりたい!!
ヨコべー | 2018年6月4日 21:51おはようございます。
いいですねぇ~こういうお店近くにないので。
ビールにうま煮そば。堪りませんね。
新小岩の歩道橋の撤去、見てましたよ。
mocopapa | 2018年6月5日 06:08おはようございます^^
キャベツの緑が眩しいですな~
町中華で飲みたいっす。
〆は餡掛け系かな。
としくん | 2018年6月5日 06:46こんにちは。
「辨麺ください」で、ウマニソバは出てきますかね?
ありそうな雰囲気ですね。
いたのーじ | 2018年6月5日 17:34こんにちは。
中華屋はいいよね~
特に旨煮、広東麺系は堪らないのよね~(^^)
Stag Beetle | 2018年6月6日 13:18こんにちは。
五十番はあちこちで見かけますが、自分は神楽坂の店を思い出しますね。
こういう貴重な街中華の店は文化財として文化財保護法で保護していくべきですね。
kamepi- | 2018年6月6日 16:07

ぶるぢっちゃんのウワサの町中華

つちのこ
高血圧グリーンモンキー麺

スティルインラヴ





お。この店は旨いに違いない。確信した。
それは入店した直後に見えた先客が頼んだ中華丼。鮮やかな緑のキャベツが映える。しかも綺麗なダイヤカット。要は丁寧に調理しているということ。
その餡が乗ったこの一杯。大正解。目の前にある寸胴の中は白濁している。鶏ガラ、香味野菜などだろうが、さっぱりした醤油スープに強めの塩味の餡、硬めの麺・・・町中華にこれ以上何を求めよう。
丁寧にカットされたキャベツは美しいほど。人参や玉葱、長葱などの野菜の炒め加減が絶妙で、分厚くカットされた豚肉も加わり、箸が進む。自家製の辣油を少し垂らせば、ボク好みの少し辛味のある「広東麺」「辨麺」だ。
日曜の昼前。驚いたことに、客足は絶えず、満席が続く。諦めて踵を返す客も何人かいる。
この店の場所は「新小岩 小松通り会」という五十店舗弱の商店街の一角にある。JR総武線新小岩駅南口から平和橋通り沿いに歩き、七分ほどの場所。商店街ではあるが、駅からは少々距離もあるし、それほど賑やかな商店街ではない。周りは住宅街。
そんな場所でこの店は五十三年間店を開けている。大したものだ。
この店も、今のボクのノス系バイブル「散歩の達人」今年一月号の特集「みんなの町中華」に掲載されている。しかも見開き二頁を使っての紹介だ。
その特集記事によれば「五十番」の屋号はその昔、神田にあった同屋号の人気店が屋号を貸してあちこちに広まったという。だから、他の「五十番」とはあまり関連がなく、それぞれ独自の味を作っているそうな。
スタッフは三人。女将さんと姉弟、それに先代から使える料理人。古い三階立ての建物の一階。中はそれなりに年季を感じる。
昨日出かけた 銀座アスター本店 とは真逆の店。オムライスやカツ丼がある、由緒正しき、昔ながらの、定番の町中華。こういう店で、休日の昼間を過ごすなら、ビールは必須。少し飲めば眠くなる。ゆったりとした時間が過ぎるのを楽しめるいい店、旨い店。だから常連さんだろう、多くの客がこの店に足を運ぶ。ご馳走様。
・・・社会に出て、勤務した事業所の最寄り駅が新小岩駅。実際は殆ど車通勤だったが、この駅は馴染みの駅。総武線が複々線化されたのが1972(昭和四十七)年のことだから、駅舎も半世紀ほどの歴史を刻み、かなり老朽化しているように見える。六年ほど前に、北口広場が整備されたが、南口の駅前はそう変化していないように見える。
いや。大きく変わったことがあった。
駅前の歩道橋が消え、平らな場所を人が歩いている。
歩道橋ほどニンゲン様を馬鹿にした代物はあるまい。車両のためにニンゲン様に無理矢理階段を登れ、という。昭和四十年代に交通戦争と叫ばれた時代の遺物だ。
街はそんな小さなことでも大きく変わるもんだ。